2012年8月4日土曜日

ゲーデルによるアメリカ合衆国を遵法的に独裁化する方法

以前twitterに書いた既出な話なのですが、まとめとして書いておきます。
ゲーデルがアメリカの国籍取得審査の際に「アメリカ憲法下で合法的に独裁体制樹立が可能だ」と述べた話は有名ですが、その詳細はあまり知られていません。本稿では、その詳細について解説したいと思います。

経緯

ゲーデルは1906年に現在のチェコ共和国のブルノに生まれました。ドイツ系でドイツ語を話し、チェコ在住時もチェコ語を話したという記録はほとんど残っていないそうです。そして1924年にウイーン大学入学を機にオーストリアに移住します。ハプスブルグ帝国は崩壊はしましたが、衰えたりとはいえウイーンはまだまだ中欧の学術と文化の中心であり、ゲーデルは充実した研究生活およびナイトライフを送ったようです(奥さんはナイトクラブのダンサーだったという説があります)。
しかし、ドイツに続きオーストリアでもナチスが台頭すると、にわかに暗雲垂れ込めます。ゲーデル自身はドイツ人でしたが、左派の多かった論理実証主義を掲げる哲学者のグループ・ウイーン学団と近かったため、政治的に信用できない人物と見なされていたようです。そこでアメリカのプリンストン高等研究所がゲーデルをアメリカに招聘し、ビザでもめたりいろいろあったものの、ゲーデル夫婦は(既に西部戦線で第二次大戦が始まっていたため)ソ連(シベリア鉄道)→横浜経由で1940年にアメリカに到着しました。

その後、1948年、ゲーデルはアメリカ市民権を取得します。有名な事件は、その国籍取得のための面接時(1947年12月5日)に起こりました。
帰化審査には、憲法の試験があります。この審査はアメリカ国籍を取得する人なら誰でも受ける必要があるものなので、それほど難しいものではなく、たぶん現代日本の運転免許のペ−パー試験ぐらい簡単なものだと思います。ところが

国籍申請者として、ゲーデルはアメリカの統治システムに関して質問されることになっていた。ゲーデルらしいことに、人並み以上どころか必要以上に完璧に試験の準備をした。面接日が近づくとゲーデルは明らかにいらいらして、あげくモルゲンシュテルンに、憲法に矛盾があるのを発見した、と言った。
モルゲンシュテルンは面白がったが、ゲーデルがとても真剣なので、もし「発見」のことを言い出したら国籍申請が危ういかもしれないということに気がついた。そこでモルゲンシュテルンはアインシュタインと相談して、そんな事態が起こらないように2人で協力しなければならないとの意見の一致を見た。(ドーソンp248)

さて、いよいよ審査の日です。面接はプリンストンからあまり遠くないトレントンで行われ、モルゲンシュタインが彼とアインシュタインを車で送り迎えしました。裁判所では先客がいましらが、有名人は得なもので、アインシュタインの国籍宣誓を担当したフィリップ・フォーアマン判事がアインシュタインを見つけ、三人を担当法廷に引っ張っていきます。審査では、アインシュタインとモルゲンシュテルンがもっぱら話したようですが、ついにフォアマン判事がゲーデルに向かって「ドイツのような独裁政権がアメリカ合衆国でも成立することがあると思いますか?」と聞きました。そして

これはまさにゲーデルが待ち受けていた事態の幕開けだった。肯定的な回答を与えて、なぜアメリカ憲法が独裁政権を許しているかの説明をし始めた。幸いにもフォーアマンはすぐに事態を理解して、状況を解決すべく手を打った。「説明しなくていいです」と割り込んで、無難な質問を続けたのだ。(ドーソンp249)

ということで、審査はパスし、1948年4月2日には国籍が認められました。後に、ゲーデルはフォーアマンのことを「ものすごく理解がある人」と手紙で描写したそうで。

アメリカ憲法の何が問題になったのか

以上の逸話は、ゲーデルという人の個性を忠実に反映しているからか、ゲーデルの伝記には必ず出てくる話です。しかし、ゲーデルが見つけた方法とは何か、その発見はどの程度重要なのか、具体的な説明はあまり見あたりません。ここでは、その辺を解説したいと思います。

憲法修正条項(AC)

ざっくりとした話をすると、現代日本でも、日本国憲法には憲法改定のための規定(96条)があるので、国民が支持さえすれば、合法的に憲法を変更し独裁政権を樹立することが可能です(もちろん国会の2/3と国民の半数以上の賛成が必要で、非常にハードルは高いですが)。ゲーデルの例も大体はそんなところです。ただし、ゲーデルの例では、アメリカの個別事情、すなわちアメリカ憲法に独特の「憲法修正条項(AC)」の権限に関する問題が、非常に重要な役割を果たします。

この憲法修正条項(AC)は、憲法の条項の修正方法の一つですが、日本のような憲法の本文をいじるやりかたの改正よりは遙かに簡単に、憲法が規定していない問題に関し、憲法の規定を補足することができます。これを定めるためには、連邦議会の各院の2/3以上の賛成による発議の後、3/4以上の州が批准することが必要です。
歴史的には、アメリカ憲法は、18世紀に制定された、世界でもっとも古い成文憲法の一つですが、古い分、現代的な感覚からすると構成が変わっています。すなわち、憲法の本文は、連邦政府と州の権限分担についての話で終始しているのです。そして、基本的人権などの民主国家としての基礎は、「権利章典」と呼ばれる憲法修正第一条から第十条までで保証されています。また、奴隷制度の廃止(13条)や黒人参政権(15条)など、多くの重要な条項があります。
AC は、非常に重要なのですが、変な条項もあります。例えば禁酒法(18条;1919年)です。アメリカ国内での酒の販売を禁じたこの法律は国内の混乱を招いたため、後に修正21条(1923年)によって18条は廃止されました。

ここでのポイントは、
  • ACは定めるプロセスは決まっている(手続き的な制限はある)
  • ACの権限に関する客観的な制限は存在しない
ということです。つまり、禁酒法の場合のように、ACでは他のACの条文を廃止することができます(18条を21条で廃止)。禁酒法についてできるのなら、権利章典を廃止できない訳はない、ということになる可能性もある訳です。
つまり、憲法本文で規定されている州権を侵害しない限り、ACによって定められている言論の自由などの基本的人権条項を廃止することが可能かもしれません。特に、以下のACを考えてみましょう:
憲法修正第十条:この憲法によって合衆国に委任されず、また州に対して禁止していない権限は、それぞれの州または人民に留保される。
この条項を一つ廃止すれば、憲法で「政府がこれをしてはいけない」と書いていないこと(経済活動の自由など)は全て政府の許可が必要になる可能性があるわけです。

ACの権限についての議論は、昔から憲法学者の間ではよく知られた問題でした。そしてこのようなその極端例、つまり民主的に選ばれた連邦議会はACによって独裁体制の樹立が可能、と言う話も、それなりに知られていたのではないかと思われます。ゲーデルは帰化審査時の憲法の試験の準備に憲法学の本を読んでこれを知ったのではないでしょうか。

時代背景

さて、こういう話ですが、1947年という時代背景を通してみると、多少違った色合いを持ちます。つまり、ヒトラーのドイツ帝国が崩壊したのはその二年前ですし、チャーチルによる「鉄のカーテン」演説は1946年で、今度はソ連が占領下の東欧で共産化を進めます。
今の日本では、ゲーデルは学者バカで政治に興味がなさそう、というイメージがあるようですが、そんなことはなく、タカ派寄りだった可能性もあります(アイゼンハワーに投票したりしています)。本人はウイーン時代に社会が目の前で崩壊する様を目撃し、アメリカの民主主義に非常に思い入れを持っていたようです。

ゲーデルという人

さて、この「発見」ですが、「発見」そのものとしてはあまり意味はありません(憲法学者には既知の点でした)。それよりは、彼の人格に関していろいろなことを語るように思えます。

ヒンティッカ大先生曰く、ゲーデルは「形式体系が当初意図された通りの振る舞いをするか」をテストすること強い関心があった、ということです。この説では、不完全性定理もアメリカの独裁化の可能性も、形式系が意図しない振る舞いをする反例として同じ方向性を持つ話と言うことになります。

ただ、この話は、そんな前向きのものではないように思えます。どちらかというと、ドーソンの言うように、ゲーデルが数理論理学の領域外では「論理的には無矛盾だが外的には誤ったパラノイア的信念体系を展開した」(邦訳p349)と言う方が近いような気がしてなりません。

この問題において、パラノイア的なのは以下の点です:
  • 法制度は、形式的な構造だけではなく、それに携わる人たちの歴史や文化が重要で、1947年のアメリカの法文化の下ではアメリカが独裁制に陥ることはまずなかったが、ゲーデルはそういう常識的な要素を無視した
つけ加えれば、ゲーデルは、たぶん運転免許のペ−パー試験より簡単な帰化審査の憲法の試験のためにわざわざ憲法学の専門書を読んだ点からしてパラノイア的といえるのかもしれません。

ドーソンが指摘するように、論理学者として、常識にとらわれず内的論理に基づいてどこまでも進むという点は素晴らしい業績を上げる原因となりました。しかし、この点は、日常生活で多くの問題点を招き、ついには残念な死に方に至った、ように思われます。

参考

  • 「ロジカル・ディレンマ」ジョン・W・ドーソン Jr
  •  http://www.earlham.edu/~peters/writing/psa/sec16.htm#B
  •  On Godel (Jaakko Hintikka)



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