「『天の声』はレムの最も魅惑的だが同時に好きになれない作品となるのである」(フレデリック・ジェイムソン「未来の考古学」Ip.187)
「天の声」は不可知論小説であり、劇的なクライマックスは決してやってこず、大騒ぎしても結局何も起きない徒労感がメインテーマである。…こういうと見も蓋もないが、そもそも科学研究とはこういうものであり、その意味で非常にリアルな小説である。
第一章 大きな波
第一節 ファーストコンタクト
宇宙人は啓蒙時代には既に人気のテーマであり、宇宙人とのファーストコンタクトは、ウェルズの時代には既にSFの重要なテーマとなっていたが、その場合、宇宙人を外敵=安全保障上の脅威と重ね合わせてイメージする事が多かった。ウェルズは、「宇宙戦争」において、平和なロンドンの日常が火星人の侵略により急に破壊される光景を描いた(レムは、第二次世界大戦時のドイツ軍のポーランド侵略の経験から、19世紀の平和なイギリスの住人がなぜあんなに急激な日常の崩壊をウェルズが想像することができたのか感嘆している)。この小説は、1933年にオーソン・ウェルズによってラジオドラマ化され、ナチス・ドイツのヨーロッパでの伸張に不安を抱いていたアメリカ人の間に大騒ぎを巻き起こした。1950年代には、冷戦下、地球を狙う「緑色の火星人」は、アメリカ侵略を企む共産主義の手先のスパイ団同様、よく見られたテーマである。その後、冷戦が進むにつれ、単なる侵略者としての宇宙人という単純なテーマ以外にも、アメリカ/ソ連のSFには逆に「侵略する側としての地球人」「解放者としての地球人」といった、戦後の超大国としての経験を反映したものが多くなる。
さて、マジメな科学的可能性としての宇宙人を考える場合、宇宙人との接触というテーマ自体、人気が無くなってきた。というのも、19世紀の宇宙は大分小さく、宇宙人も火星や金星に住んでいたが、天文学と宇宙開発技術の結果、宇宙人のいる場所はどんどん遠くなってきたからである。レムのキャリアの初期、すでに金星に現在宇宙人が居ないことは明らかになっていた。その結果、宇宙人との電波などによる交信がSETI計画などで語られるようになる。
「天の声」は、この種の遠隔コンタクト時代の代表的SFということになる(遠隔コンタクトは、もちろん直接接触に比べドラマ性が低く、どのようにドラマを作るかが最大の問題点となる)。もちろん、よく知られているように、SETI計画には何の進展もなく、SETIも今やPCのスクリーンセーバーとしても忘れられつつある。その意味で、「天の声」は、すでに時代遅れになりかけた小説である(少なくとも文脈がわかりにくい小説である)とは言える。
第二節 「世界史的瞬間」とラザローヴィッツ
当たり前のことだが、宇宙人からのメッセージの受け取りは世界史的大事件である。そして、UFO狂のラザローヴィッツPh.D.の運命は、本作品における人類のMAVO計画における狂騒を象徴する存在である。
もちろん、彼自身は単なる電波なUFO狂であったが、彼の考え、ニュートリノ線は宇宙人からのメッセージであり政府が宇宙人とのコンタクトをひた隠しにしていること、は正しかった。しかし、計画は、政治的必要からラザローヴィッツを破滅させなければならなかった。この点は、結局政治によって左右される計画全体の姿を象徴し、「計画の原罪」となっている。
「彼がぶつかった波があれほど大きくなければ、ラザローヴィッツはおそらくさほどひどくない偏執狂として、空飛ぶ円盤の問題やその他のことになんの支障もなく没頭し、けっこう平穏に暮らしていたかもしれない。なにしろ、爆発でもするように彼の抵抗力を引き裂き、破滅させてしまったのは、そうした人間の欠点ではなくて、自分のもっともすばらしい財産であると思っていたものとまったく切り離されているという意識、人類の歴史をふたつの部分に切断している発見であったのだ。」(「天の声」p.56)
その後仄めかされていることは、彼のメッセージに関する擬人的で的外れな解釈の山も、実はMAVO計画と大差はないということである(実際、メッセージの送り主の意図に関する擬人的解釈から最後の最後まで計画参加者達は自由ではない)。
第三節 ホーガスのモデル
主人公は数学者である。「腰の定まらない数学者」であり、博士論文にはエルゴート理論を取り上げ、師匠(物理学者)の作った体系の公理型に関しメタ数学的研究を行い、「ホーガス群」を作り上げたという。数学における革命、「倫理学の物理学化」?…一体何の研究をやっていたのか全く理解できない(エルゴート理論のメタ数学?)。物理学者や人類学者と共同研究も広く行っている。
物理学者と仲がよい社交的な数学者というと、典型的な例は、マンハッタン計画と核兵器開発・コンピューター開発で大活躍したフォン・ノイマンである。彼は論理学・核物理学・計算機科学・ゲーム理論に渡って幅広い業績がある。しかし、彼は核開発計画では管理者・組織者的面が強すぎ、ホーガスとは異なるタイプであるのかもしれない。もっといい例なのが、スタニスワフ・ウラムであろう。彼は、ポーランドのルブフ出身で、戦間期は関数解析・集合論で多くの業績を上げ、第二次大戦直前にアメリカに移住、マンハッタン計画と核兵器開発で活躍した。水爆の数学的可能性を証明したこと、数値シミュレーションのモンテカルロ法を発明したことでも有名である。彼は皮肉屋で社交的数学者、また教養が深いことでも知られている(同じポーランド人だし)。
ロス・アラモスの核科学者達は、マンハッタン計画スタイルの研究(大規模プロジェクト、数値シミュレーションを併用した数学的研究)は今後の重要な科学の手法であり、生物学や気象学、さらに人文科学全般に応用できると考えていた。「天の声」では、「蠅の王」は細胞膜に似た構造体(しかし原子核反応が起こっている)であり、メッセージは通常の言語の手紙と言うよりは生物の遺伝子の構造に似ている。
遺伝子は、情報でありながら、その情報を使用して構成される構造体を作り上げるための物理的環境でもあり、情報科学的に非常に面白い存在である(現在、情報科学ではやりの話題である)。この「情報系としての生物」というアイディアは、当時としては新しいアイディアであり、この点に着目したのは先見の明があると言える。
また、ホーガスの同僚達もキャラとしてそれなりに立っている。ラッパポート博士は東欧出身のユダヤ系哲学者であり、ホガートの分身ともいえる(キャラが被りまくりであり、彼がメインキャラになったのは「通夜」の時に東欧的深酒のgdgd感を出したかったからではないかという疑惑が…)。プロセロ、ディルらの物理学出身の万能家たちも含め、彼らは一分野の専門家ではなく、多くの分野で業績を残した専門家達である…現代の成熟した科学にこんな万能家は少ないのだが、たしかにマンハッタン計画の時期にはたしかにいたし、学問分野が若い頃にはこういう人たちが必ず出てくるものである(その意味でこの小説には1960年代的な雰囲気が漂う)。
唐突にラッパポート博士のユダヤ人虐殺回想がここにある意味?
ユダヤ人レムのユダヤ人問題(書類を偽造してユダヤ人狩りを免れる)
「変身病棟」
最後に、当たり前の点であるが指摘しておくと、レムの小説の特色とも言える「架空の学問体系のそれっぽい構築」(ソラリス学、「泰平ヨンの現場検証」、「第二十一回の旅」などで出てくる架空の星の歴史など)の手腕が本書でも遺憾なく発揮されている(ただし数学に関する話は残念ながらそれっぽい単語の羅列で終わっている)。
第二章 フグ料理のレシピ
第一節 ロス・アラモス
本作で最も大きなウェイトを占めるのが、冷戦スリラーである。ラザローヴィッツがメッセージをモールス信号で書かれていると考えたように、メッセージは解読者の偏見を自然に反映する存在である。冷戦下の科学者達は、核実験場に集められ、核科学的な方面の関心から研究にあたった。
この核実験場は、明らかに、マンハッタン計画の舞台となったロス・アラモスに強いインスパイアを受けている。最近は、ファイマン自伝などの影響で、科学者のパラダイス視されているアレである。ラッパポート博士の説では、トリュフを探す豚の巣。
テクノロジー的には、時代は六十年代なのか、所々妙にアナクロな物が登場する。例えばホーガスの部屋にあるIBMクリオトロン計算機、ペダル付きの揺り木馬である。今時、ペダル入力式の計算機なんて想像できるだろうか。
この「計画」自身について、その政治的な立場は色々と興味深いものがある。例えばバロインとイーネイ博士である。バロインはオッペンハイマー、イーネイ博士は原子力委員会のストラウス委員長がモデルなのか、ともかく良心的科学者と軍部代表というわかりやすい構図になっている。
第二節 爆発移転効果
メッセージから作られた「蠅の王」「カエルの卵」は、もしかしたら、核反応を必然的に伴うものではなく、核科学に強い興味を持つ人類が核科学の枠組みの仲で再現したから爆発移転効果を生む存在になったのかもしれない(「穿孔テープと自動ピアノ」)。その意味で、「黒豚料理をフグ料理だと取り違えた」ことがおきたのかもしれない。
爆発移転効果は、もしかしたら冷戦下で核の均衡を揺るがしかねない大発見だった。「通夜」におけるホガートとラッパポートの話は、よくある核戦争物のクライマックス直前のシーン(真実の瞬間、うなるICBM、良心的科学者同士の魂の会話)のパロディになっている。確かに、探知のしようがない核攻撃は、相互確証破壊を破綻に追いやる。しかし、「天の声」は不可知論小説であり、そういう劇的なクライマックスは決してやってこない。アンチ・クライマックスにおいて、爆発移転効果は距離の二乗でエネルギーが発散することが示され、結局全てが徒労に終わる。
本来ならばクライマックスになるはずだった軍部と「反計画」の進駐も、結局、爆発移転効果が無害であることが示された後だったため、結局単なる1エピソードとして終わっている。それどころか、「反計画」の軍事科学者達には爆発転移効果の発見はできないので反計画が解体されるというおまけ付きである。
もちろん、「計画」も人間の組織であり、実際に終わりが来るはずなのだが、メッセージが解読される気配はないため、本書中、いつまでも永遠に続きそうな気配である。小説自体の
第三章 物自体
第一節 宇宙人の理解可能性
そもそも、宇宙人は、人類に理解可能な存在である保証はない。カール・セーガンを初めとする宇宙人研究者達は、宇宙人が技術的に人類より進歩しているだろう事は認めるが、
- 彼らは幼子たる人類に分かるように話しかけてくるだろうから
理解できるだろう、と主張している(ホーガスが上院議員に説明するように「貴方は幼児に話しかけることはできる」)。もちろん、メッセージが人類に向けての物でなければ理解することはできないが(「おたくが上院でする演説は理解できない」)。
問題は、「科学の普遍性」という概念にある。科学に対する相対主義的なアプローチは
- 人間同士でも共役不可能な、「異なる概念枠」がありうる、という立場(強い非難を浴びているものの、依然として人気がある立場)(文化的な理解不能性)
- 科学は進化的に獲得されたもので、人間の生物学的・進化史的条件と密接に結びついているため、もし全く条件が異なる生物がいれば、そもそも何が言語なのかすら同意できないだろうと考える立場
とまとめる事ができる。レムのSF における類型を並べてみると、以下のようになる:
- 人間同士の理解不能性:「未来学会議」「星からの帰還」
- 「砂漠の惑星」のような、進化的により劣っており、彼らのメカニズムについてある程度理解可能ではあるが、言語や意図が相互理解不可能であるもの。「砂漠の惑星」的理解不能性は、通常の意味でのコミュニケーション不可能性に近く、その不可能性はある意味わかりやすい。ロボット虫群は科学を持たない。
- エデンなど、ある程度コミュニケート可能・理解可能な宇宙人。彼らはもし科学を持つなら人間の科学と同じ物になると期待できる
- 「ソラリスの陽の下に」のように、そもそも人知を越えたもの:ソラリスは、そもそも恒星系として不安定であり、進化的にソラリスがどう発達してきたかの道筋を思い描くことすらできない。また、ソラリスは物理法則をねじ曲げ、何らかの形で物理法則を「理解」していることは確実である(場を制御する)が、彼らの「科学」は人類に理解できるか心許ない。
「天の声」においては、「砂漠の惑星」的な要素は少なく、ソラリス的な要素が大きいことはすぐ分かる。ソラリス的理解可能性について、レムが「天の声」で与える説明は、よりカント的である(急に「物自体」という言葉が出てきて驚く)。カントの枠組みでは、人間の認識能力において先験的に備わっている二種類の認識形式、感性と悟性のうち、感性には純粋直観である空間と時間が、悟性には因果性などが含まれる。これらは、人間の生物学的条件などに強く左右されるが、科学であっても、人間はこの認識形式の外に出ることはできず、この形式を通して認識される感覚データを通じて物事を認識し、外の世界について考えざるを得ない。この形式に上手く当てはまらない理性理念は原理的に人間には認識できないが、少なくとも課題として必要とされる概念とされる。神がその代表例で、物自体と呼ばれる。宇宙人のメッセージは、宇宙人と、そして解読者である人間の文化、最低限でも認識形式の混入は免れない。文化の混入のない「無文化言語」は、「物自体」と同じく、単なる理想化されたありえない存在に過ぎない。
当然、ソラリス、そしておそらくメッセージの送り主は、歴史も生物学的要素も根本的に異なるため、認識形式は異なる。従って、科学は認識形式に依存して展開されるため、彼らの科学は我々の物とは本質的に異なる可能性がある。
現代の物理主義的な分析哲学の視点からは以下のような話になる。宇宙人は生物学的に地球人と大きく異なるはずで、言語や社会的前提など、進化的に獲得された基盤は大きく異なるはずである。宇宙人の生活形態は人類と大幅に異なる以上、彼らが「言語」を持っていると言うことさえできないかもしれない(言語は翻訳可能性を前提とする;「ライオンは人間の言語を話せないのではなく話さないのだ」)。科学は、進化的に獲得された「もっとも信用できるノウハウ集」でしかないため、もちろん進化史的制約を受ける。
数学の文化的要素?
「完全な真空」のゴーレムIX:「超知性」の誕生
人間が作り出したにもかかわらず、理解することができない存在
冷戦を超えた存在
第二節 宇宙人の意図?
「アリは、彷徨った末に死んだ哲学者に出会うと、それから利益を引き出す」(p.30)
「実はコンピュータ用のテープをピアノラにかけて、そいつが奏でた楽句が、つまりあの『カエルの卵』だと思っているんだろうが?」(p.161)
「料理の本で『黒豚』を『河豚』と読み違え、そのまま料理を作ってしまい、それを食べた宴会の出席者が中毒死してしまった」(p161)
「天の声」の宇宙人は、余りに多くのエネルギーをメッセージの送信にあてているため、その意味で理解不可能である。彼らの生物学的背景を伺わせる情報は全くない。宇宙人の正体に関し、ソラリス的な、不可知論で終始する(ソラリスは、直接会うことができる分、まだマシである)。ソラリスがハリーを引き起こし、擬似的にコミュニケーションがとれているように感じる瞬間があったように、「天の声」でも人類は「蠅の王」を作り出す。しかし、どちらにおいても、一体それにどんな意味があったのかを知ることはできない。
もしかしたら、宇宙人は善をなそうとして、コロイド凝縮効果のあるニュートリノ線を宇宙に充満させたのかもしれない。地球人は核科学しか興味がないため、その善なる意図から悪をくみ出してしまったのかもしれない。
しかし、「泰平ヨンの現場検証」に出てくる「四宇宙説」が示すように、「生物に好意的な宇宙では、生物が雪崩を打つように繁殖するため、増えすぎて、生物が逆に全滅してしまう」。そのため、適度に無慈悲な宇宙の方が、結果的には生命にとって優しい(ライプニッツ的結論)。もしかしたら、増えすぎた生物を篩に掛け駆逐するために、爆発移転効果のような軍事技術を教え、自滅を誘うのかもしれない。これは単なる妄想かもしれない。
もちろん高度に発達した宇宙人の意図は、全く理解することができない。この点で、「天の声」の宇宙人は神と同じ扱いであり(タイトルからして…)、神の摂理を理解できない罪深い人間達の七転八倒が本書のテーマとなっている。レムの「第二十一回の旅」が象徴的(異星の地下修道院の図書館に直行し本を読んでいるだけで話が終わる)だが、流石ポーランドのインテリ、彼の神学テーマ好きはいつものことである。
宇宙人の意図に関する主人公の「宗教的」感覚
「天の声」巻末で、ソラリスのセルフ・パロディか、メッセージが、送信者の意図が全く関与しない「ニュートリノ排泄物」である可能性を示唆している。つまり、宇宙人は、単に理解不可能であるだけでなく、本当に存在するかどうかも分からない。この意味で、「天の声」は、本当に不可知論小説であり、最後に来るのはアンチ・クライマックスである。